前に貨幣は、利便性であり概念であると私は書きました。この利便性は例えば2国間で交易をした場合それぞれの自国内では自国紙幣にて、作業費(物流費、労務人件費、等)が支払われるが、交易した相手も自国内では同様である。ここで重要なのは交易により物(人間も同様)の移動が行われる時が現物と利便性が合致するときであると思われます。これは最小の単位(個人間でも)同様と考えられます。
この、利便性の基準は概念としてのお金ではなくあくまでも現物なので、交換レート以上には交換できないはずであるが、ここで共通する概念があれば現物交換以上の物と概念の交換が行われる。この概念こそが基軸通貨となるわけだと言う事です。
現代のような多国間取引を行う場合は、ことさら必要になりこの基軸通貨をめぐっての争いがおこり、ましてや基軸通貨が複数あるようではその覇権をめぐって争いごとが起こるのは必至というか必然と言える。この争いごとは国力に委ねられ国内の流通通貨も戦費増大すれば同様に増大していくし、さらには現物がないにもかかわらず紙幣という概念だけが増大していき価値の維持が難しくなるが、相手を駆逐してしまえば状況は一変し相手のインフラを手に入れ自国の価値が大きくなる。負けたほうは当然奴隷となり国家が消滅する。
国はそこに居住する奴隷に対してインフラを提供するが奴隷側は何を提供しているのであろうか?私は人間の生存時間と考えれば合理性が高いと思われます。国や権力者は継承者を指定し永続しようとし、特権階級の維持をしようとするために自身はその地に住む奴隷たちの言論や思考を自身に有利なように情報を与えればいいのである。しかし人間の思考の統制を図ることは非常に難しく一度この奴隷が反乱すれば、統制できなくなり終焉を迎えお金のという利便性が損なわれる。
基本的に取引は物を交換するものだと言う事を、忘れてはいけないのです。
この辺で思考が途切れたので、、、、またの機会に。
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